孤独の散文

孤独の散文

連載を持つイメージで

記事を書くってことは、

アレですよ自分はたとえば、

漫画家ですみたいな。

 

複数の雑誌で連載を持つ、

みたいなイメージです。

 

なので、ひとつのサイトには

ひとつのテーマ。

これは原則です。

 

だから逆に言えば「雑多」が

テーマなら、内容は雑多でいいわけです。

そう考えると、

雑多ブログとか、ラクだなあと。

まぁもとより特定の誰かにむけて

書いてるわけじゃないんで、

いいんですが。。

 

いやまてよ、特定の誰かじゃない、

ということは、

誰に見られてるかわからない。

ああ、いちばんこわいやつね。

はいはい。

 

シャム猫理論、白黒手塚理

どっちの呼び方でもいいんだけど。

ようはバランスですよ。

「白いこと」ばっかり書くのは、

しょうじきストレスはわけです。

 

だから黒いことも書く。

ストレスを溜め込まないことは、

とても大事です。

そういう意味では、

医学的な治療法として、

確立しているのです。

 

とはいっても、

まぁ誰も見ない紙とかに、

とにかく書き出すってやつ。

そうやってまぁ、

吐き出すんですつまり。

 

コレって大事なことだなあと。

 

退職者

4月の新入社員で、さっそく退職者が出た。

もともと離職率の高い職場だから、

今さら別にどうということはない。

 

ただ、「あ、やめるのね」

ってだけ。

べつだん引き止めもせず。

 

というより、これからやめようという人を、

わざわざ止めようとも、しない。

人は流れる。

経験は、増える。

するとどうなるか。

 

どういう気持ちになるか。

それは、

いろんなことが普通になる。

 

たとえば、

人はひずれ死ぬ。

とか、そんなふうに。

 

やめます。と言っても、

「あっそう」ってかんじ。

まぁあとは、その人の醸し出す雰囲気。

 

ぶっちゃけ、「下手」だったんだろうね。

”伝わっちゃった”というか。

さとられた。

まぁ、それは当人の問題だから。

 

はたちそこそこの新卒くんなら、

まだ温情の余地があるけれど。。

 

年齢が上がると、どんどん

「これくらい、出来て当然」となる。

いやほんとうに、なる。

 

だからオーストラリアのコアラの脳の話を、

いつも思い出す。

適度なストレスは、

あったほうが良いのだ。

 

理想なんかは、

いったんすてて。

まぁそうはいっても、

お客や会社の求めもあるし。

 

カネの奴隷

「カネもらってんだろ?プロだろ?」

と言われた。

 

まぁ意味的には、

カネもらってるんだから、

責任をもってしっかりやれ。

 

くらいのことだろう。

しかしおかしい。

 

ハッキリ言ってそれほど高給を

とっているわけではない。

むしろ安い。

 

おそらく現代を生きる

多くの給与所得者は、

低賃金重労働だ。

 

かつてにくらべて。

それをして、

「カネもらってんだろ?

働けよ」

 

といわれれば、

そりゃあウンザリするだろう。

だったら、そんなはしたガネ、

いらねえ、ってね。

 

当然そうなる。

それはある意味、ただしい。

だって、ほんとうに

「その程度のカネ」なのだ。

 

たとえば介護や保育がそうだ。

労働者はその程度のカネで、

人の命をあずかっている。

 

人の命と、わずかの月給が、

イコールなのだ。

イコールにされているのだ。

 

なのにあいかわらず、

カネもらってんだろ?

カネほしいんだろ?

じゃあ働けや!

 

嫌ならやめろ。

 

・・そりゃあやめるだろ。

当たり前すぎる。

目の前のニンジンが、

あまりにも小さすぎる。

 

でも、現代人はすごい。

その小さなニンジンで、生きてる。

その小さなニンジンを得るために、

必死で命を削っている。

 

そういう意味では、

たとえばバブル期の

コアラたちより、

優れているといえるだろう。

 

同化してはいけない

モンゴル帝国」という、かつて

世界を制覇した国がある。

モンゴルがなぜ強かったかというのは、

いくらでも文献がある。

 

たとえば馬術に長けていた、とか。

武器が優れていた、とか。

おもしろいところでは、

風呂に入らなかったこと。

 

というより、入浴の習慣がなかったらしい。

まぁモンゴルだし、内陸だし。

水とかないのかな?

ってなところなんですが。

 

まぁまぁそれはいいとして、

とにかく風呂に入らなかったんですよ、彼ら。

だからくさい。

当たり前か・

 

ところで、

筆者は格闘技を習っています。

柔術なんですが、相手と

組み合う際は、まぁ密着するわけです。

 

すげえ汗とかかくんで、

くさい人は、まぁとんでもなくクサイです。

ぶっちゃけ、そのにおいでヤラレます。

 

・・・とまぁこんなこと書きましたが、

実はその「におい戦術」、実際の

格闘技の試合においても、

おおいに役立っているそうです。

 

だって、勝てばいいのですから。

関係ないです。

だから、プロの選手の一部は、

あえて風呂に入らないとか、

そういうことをする選手まで、

いるそうです。

 

くりかえしますが、

「勝てばいいのです」

 

話を戻します。

モンゴル軍が、勝つために

風呂に入らなかったかどうかは、

謎ですが、

まぁとにかくはいらなかったわけです。

 

んで、こっからです。

モンゴル軍は、最盛期には

ポーランドあたりまで、

領土を拡大しました。

 

ポーランド?どこだよ?」

って人は、そうですねえ、

ギリシャあたりまで。

あるいは、ヨーロッパの東側、

ってかんじです。

 

そのあたりまで来ると、モンゴル軍、

なんと征服した土地の人々の生活に、

溶け込みだすのです。

 

ふつう、勝った側に、負けた側が合わせるのです。

するとどうなるか。

負けたがわは、まぁ弱いから負けたのですが、

勝った方の技術などを吸収して、

強くなります。

 

では、

勝ったほうが負けた方と一緒にいたら、

どうなるか?

 

結論を言えば、

弱くなるんですねえ、これが。

たとえばモンゴル軍は、

馬をやめました。

 

なぜなら都市の生活には、

馬は不要だから。

 

あるいは、風呂にはいるようになりました。

さらに、石鹸で体を洗うようになりました。

反対に、武器の手入れをやらなくなりました。

武術の稽古を、しなくなりました。

 

ようするに、モンゴル軍は、

”内側から壊れていった”のです。

 

まとめ

弱いうちは、強い方とつるめ。

強い方は、弱者とつるむな。

 

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さよなら積水ハウス

やっと積水ハウスの呪縛から解かれました!

いやー長かった!

2~3ヶ月くらい?

長すぎだろJK。

 

先週金曜日の段階で、

やっと2000オーバー。

んで今日の朝、

というかさっき、ソッコーで売る。

 

少し下がってるけど!

気にしない気にしない!

もうどうでもいい!

とりあえず積水ハウスはもういい!

 

無理!

1928!

もうナンバーまで完全におぼえた!

1228!

ムリ!!

 

以下フォロー

いやあもちろんムリというのは、

未熟な筆者にはムリという意味でありまして、

ひろくあまねく皆様にムリというわけでは

ございません。

 

積水ハウスは日本と代表する

大企業でございまして、

スバラシイ会社様でいらっしゃいます。

ぜひとも皆様に於かれましては、

株を買ったら良いかと思います。

 

さて次

今まで買ったことない株。

っていっても、

ほとんどがそうなんだけど。

っていうか、

やればやるほど、

しょぼ株とかマジむり。

 

ようは手数料の問題ですよ。

だからやっぱり、

でかいカネを動かすしかない。

 

うーんやはりそうか。

トヨタとか買ってみたいんだけどねえ。

あとは電通か。

 

まぁ600Kくらいなんだけど、

今の筆者にとっては、

じゅうぶん高い。

 

まーた今回も信用買いとか。

信用はこわいからなー

なるべくさけたいんだよねー

 

とかいってまぁ

積水ストップがかかっていた間、

まったく動きがなかった筆者。

 

まぁ仕方ない。

ワン銘柄オンリー買いですから。

ポートフォリオ

組めねえ組めねえ。

 

むりむり。

そこまでやるには、

やっぱり数百万単位じゃないと。

 

別の仕事

しごとに疲れたらどうするか?

まぁ多くの人は「休憩する」って

応えるでしょう。

 

でも筆者はちがうんです。

ひとつの仕事に疲れたら?

 

答えは、

「別の仕事をする」。

これが正解。

 

まぁ、しごとっていうけど、

それは別に家事とかでもよくて。

とにかく、「ただ何もしない」ってのは、

なるべくさけること。

 

~ここからフォロー~

いやべつに、

ただ何もしないというのが、

すなわち悪いわけではないですよ?

 

そこを誤解しないでくださいね。

何もしない時間というのは、

確かに大事です。

筆者もよくやります。

ただ何もせず、ぼーっと。

それはそれで必要です。

 

しかし筆者のばあい、

どうしても貧乏症といいますか、

せっかちといいますか。

 

あせっちゃうんですよねー

~はいフォローおわり~

 

新たな発見

別のことをやると、

新たな発見があります。

確実にあります。

 

たとえば、箸。

ものをつかむだけではありません。

さす、かきまぜる、切る、、

まぁいろいろ使えます。

 

つまり、そういうことです。

いろいろやって、

とにかくさいしょに広げる。

 

んで、不要なものは取り除いていく。

そうすると最終的に、

自分にとって必要な物だけが残る。

そういう計算です。

 

まぁ筆者に親切丁寧に説明されたら、

「そんなことわかってる」って

反発されそうですが。

っていうか、ぜったいします。

 

そういう人に限って、

何もできてないんです。

筆者は、既に先を行っています。

先を行っているのです。

次のステージへ。

モード

子供の頃は「みんなと仲良く」

とか教わるもの。

それが正論だから。

キレイゴトだから。

 

正論は強い。

正論は反論されない。

しかし実際はどうか。

 

はっきり言って、

人によって態度を変える。

これが現実だ。

これがふつうだ。

そこでまた裏切られる。

騙される。

信じるというのは、

損をする行為だ。

 

筆者はそう断言する。

筆者は基本的に、

誰の言うことも信じない。

なぜなら、みんな自分の都合のために

喋っているから。

 

言葉とは道具だ。

情報を伝達するための道具。

ことろで、道具である以上、

便利であるべきだ。

だから便利に使われる。

最大限に。

使用者の都合で、

使用者の便利に。

 

それが「うそ」だというのだ。

合理化とは「うそ」だ。

整合性というのは「うそ」だ。

 

うそのつきあい

気分が良くなりたい

いい思いがしたい

人はそんなものだ。

自分だけが、いい思いをしたい。

他人なんかどうでもいい。

 

これは事実だ。

絶対にそうだ。

こういうと、「私はちがう」とか、

かならず「私は~」とかいって

個別の話を持ち出してくるバカがいる。

 

そんなことはどうでもいい。

お前の話なんて聞いてない。

誰も頼んでない。

とりあえず目についたもの、

自分の手の届くものしかつかまない。

 

単純反応。

エビだ。

それかサル。

筆者は動物には興味ない。

もちろん純粋な動物は好きだ。

しかしニンゲンのふりをした

サルには興味が無い。

 

そういうのは、遠くから見て

楽しむものだ。

筆者の生活圏内には入れない。

 

ところで、

気持ちが満たされるなら、

ホントかウソかなんて、

どうでもいい。

人はどうやらそう思うらしい。

 

たとえば目の前に、

死んだ我が子を抱きかかえている

母親がいるとする。

 

子供は既に死んでいる。

もう生き返らない。

しかしそれに対して、

「いつまで泣いてんの?

もう生き返らないし、

泣くだけ時間のムダっしょ?」

とは言ってはいけないのだ。

 

これをいおうもんなら、

あるいは、ふつうに

これをいえるひとは、

ADHDのうたがいがある、

かもしれない。

 

そうではなく、そういうときは

「泣くのはやめましょう。

それより天国にいる子供が

喜ぶことをしましょう」とでも

言っておけばいい。

 

そこにおいて、

ホントかウソか。

もっというと、ホンネかウソかなんて

まったくどうでもいい。

 

ようは相手が、気分良くなればいい。

お客が、いいといえばいい。

じょうだんを理解しない

みんなバラバラだ。

気持ちが、考えが。

「バラバラ」というのは、

  • 意図的
  • 無意識

以上の2点がある。

たとえば、

未成年は飲酒喫煙はダメだ。

日本の法律ではめずらしく、

「禁止」といっているw

 

子供が火のついたたばこをもつ。

それを写真に取り(ここで言う

写真というのは、すなわち

スマホで撮影することだ)

ネットにあげる。

 

何も知らない人が、その画像を見る。

するとどうだ。

「未成年の喫煙画像」の

できあがりだ。

 

いやもちろん、「本当は」

吸ってはいない。

火のついたタバコを持っているだけだ。

でも、多くの人は、

それを理解しない。

理解しようとしない。

そこまで調べない。

 

疑わしきは罰せず

または、

疑わしきは被告人の利益に

 

という言葉は多くの人が知らない。

あるいは知っていても、

一部の業界の、

専門用語だと思っている。

 

ようするに「めんどう」なのだ。

実際について調べることが。

「本当のこと」について調べることが。

無理もない。

みんな自分のことでいっぱいだ。

忙しい。

他人のことをおもんばかる余裕なんてない。

それを理由にしている。

それを、言い訳にしている。

そうやって自分を正当化してる。

そうやって自分を騙している。

信じ込んでいる。

 

ヒトは習慣の動物だ。

だからそれが続くと、

もう「そういう状態がふつう」になる。

 

筆者は正直、どんな状態でもいい。

そんなことは問題じゃない。

なぜなら、

何をやっても悪く取るヒトは、

ある一定数、必ず存在する。

絶対にいる。

 

それがノイジーマイノリティ(NM)だというのだ。

NMの特徴は、とにかく声がでかい。

ただそれだけだ。

今の時代だから、ネットという武器を

手に入れている。

能力拡張の錯覚をしているのだ。

要するに幼稚なのだ。

 

バイクや車に夢中になっている、

クソガキと同じ。

自分すごいと錯覚しているのだ。

 

ちがう世界

いくら不景気だって、

日本はあいかわらず平和だ。

どのくらい平和かといえば、

夜間に少女がであるいても、

何も事件がおこらない。

そしてそれを、

なんとも思わない。

 

あるいは、水道水が飲める。

 

しかし一方で平和にもデメリットがある。

オーストラリアのコアラの脳は、

まるでゼリーのようにブヨブヨだ。

シワがない。

 

これはまわりにずっと、

天敵がいなかったからだ。

くわえてエサが身近にある。

なんにもこまらないから、

そうなったのだ。

 

もちろんコアラに罪はない。

ただただ、かわいそうなだけだ。

 

先日、筆者の先輩がNMにやられた。

ひじょうに面倒見のいい、

後輩思いのいい先輩だったが、

おそらく「だからこそ」いったん

きづつくと、とことんまで落ちるのだろう。

 

「すぐ怒る人」というのは、

感情の起伏が激しい人だ。

そういう人は、すぐ怒る反面、

すぐ喜ぶ。

そういうものだ。

コントロールが下手なだけだ。

子供を見るとよく分かる。

 

問題は、そこで筆者がどうこうしようとか、

してはいけないことだ。

筆者は彼の親でもなければ先生でもない。

できることとできないことがある。

彼には彼の人生がある。

非常に残念だが、

しかたのないことだ、

といって、あきらめることが、

筆者にはできる。

 

人生、いいときもあれば、

悪い時もある。

筆者は決して、いい時だけに

用があるわけじゃない。

まぁ、ほとんどのひとは

そうなんだろうけど。

 

そうじゃなく、つらいときこそ、

伸びるチャンスなのだ。

でもそれがわかってない。

「辛いこと=ダメなこと」と

思っているからだろう。

 

繰り返すが、彼の人生だ。

筆者はもうすでにちがう場所にいる。

彼が筆者に用があれば、

自然とそうなるだろう。

 

とりあえず言えることは、

筆者は彼になんの用もない。

なんだか悲しい話だが、

仕方がない。

本当に仕方がない。

世の中って、そういうものだ。

「かまってもらって当たり前」

ではないのだ。

今までは、とりあえずの

身のこなしで、なんとか生き延びてきたのだろう。

 

器用な人だから。

そういうのは、できたのだろう。

でもいつでもいつも、

それが続くわけじゃない。

そんなの博打と同じだ。

そうじゃなく、

確実性、一定さが大事だ。

 

筆者はただ静かに

祈ることしか出来ない。

 

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サラリーマンはなかよしごっこ

労働者は道具だ。

労働者は使い捨ての道具だ、

労働者は消費財だ。

 

20才で入社が60までいたら、

40年分の経費を出さなければならない。

つまり労働者という道具は、

長くもって40年は使える、

ということだ。

 

労働形態の分類

今の日本における、

働きかたを分類する。

 

最底辺レベルは、単純労働者だ。

これは完全に道具だ。

まちがいなく。

ちがうと言いはる人がいるんなら、

ぜひ名乗り出てきて欲しい。

まぁ無理だろうけど。

 

次のレベルが、サラリーマン。

正確には、2種類ある。

ひとつは、

単純労働者よりのサラリーマン。

これが、なかよしごっこ

だというのだ。

 

とりあえず、なかよくしていて、

しごとをすれば給料がもらえる。

単純労働者との決定的な違いは、

コミュニケーションの有無だ。

そして、「裏切り」がないこと。

 

単純労働者には、コミュニケーションがない。

言いかえれば、必要ない。

だって道具だから。

 

なかよしごっこサラリーマンは、

しごと自体は単純だ。

しかしそれは、コミュニケーションを

必要とする。それが前提だ。

 

良好な(というは、ダメじゃない、と

言ったほうがベターか)コミュニケーションが

取れたうえで、しごとができる。

 

そういう能力があれば、

このグループでの存在が許される。

団体職員がこれにあたる。

 

サラリーマンの

もうひとつのグループが、

なかよしごっこ(裏切り有)だ。

これは多くの大企業がそうだ。

いわゆる競争だ。

裏切るためのエモノが必要だ。

 

最上級クラスが、

オンリーワン職業。

唯一職、といってもいい。

たとえば芸能人、有名人。

スペシャリスト。

いちばんマネタイズ比率が高い。

 

あるいは、その人じゃなければ

成立しない、しごと。

唯一の欠点は、

取りかえがきかない、ということ。

 

当然だが、筆者はここを目指している。

 

まとめると、こうなる

・(最上級)唯一職業

特徴:マネタイズ比率いちばん

弱点:交換不可能

 

 

・サラリーマン(裏切り有)

特徴:裏切るための「仲間」とつるむ

弱点:裏切られる可能性がある

 

 

・サラリーマン(裏切りなし)

特徴:コミュニケーション能力が必要

弱点:単純労働者に近い

 

 

・単純労働者

特徴:使い捨ての道具

弱点:人権なしに等しい

 

農民は武士の次

江戸時代の身分制度は、

ひじょうによくできている。

 

いわゆる「士農工商」というやつだ。

じゅんばんで、武士のすぐ次に

「農民」がくるのだ。

 

農民とはひじょうに差別された

職業だった。

農民たち自身もそれはよくわかっていた。

 

自分たちは搾取されるだけの存在だと。

しかし幕府はうまいことやった。

つまり、搾取されている農民たちより、

下の階級が有りますよと、

こう言ったのだ。

 

それが工業労働者(職人)であり、

または商人であった。

さらに、えた・ひにん。

 

こうすることで、

農民に安心感を与えたのだ。

幕府に逆らわないよう。

下を攻撃させるよう。

 

自分より下がいるんだから、

ま、いっか♪なんて

自己納得させるために。

 

あきらめさせるために。

これはひじょうに

よく出来たシステムといえる。

 

これで気分よく、

年貢を収めさせるのだ。

 

しかし農民、なめられたものだ。

実際、なめられていたんだと思う。

おろかなものだ。

しかしどうすることも、

できなかった。

少なくとも当時は。

 

現在は、そうではない。

パソコンひとつで、

なんだってできる。

 

昔とは、ちがうのだ。

がまんして、しがみつかなくていい。

ヤバイと思ったら、すぐに逃げれる。

そうして自分の身を守るのだ。

 

そうやって、自分にとっていちばん

しっくりくるスタイルを見つける。

そしたらもうゴールだ。

それでいい。

そんなのでいい。

 

人生体当たり

あとは思い切って行動するだけ。

西郷隆盛が言ってた。

「いちばんこわいのは、

うしなうものがない男だ」と。

 

ようするに、何をするかわからない、

ということだ。

たとえば大事な家族のために、

カラダを大事にする。

こんなのでは、思い切ったことが出来ない。

 

はらをくくったら、こわいものなんて

なにもないのだ。

でも多くの人は、これまでの

つみかさねを大事にする。

 

しかし考えて欲しい。

あなにとっては大事かもしれないが、

こちらからすれば、

別に大したことない、というのは

いくらでも存在する。

 

体当たり。

とにかく体当たりだ。

それしかない。

そもそも自分に何が向いているか

わからない。

そういう人もいる。

そのひとにとって、

それがふつうなのだ。

 

しかしとりあえず、やってみる。

やっていくうちに、

目が肥えてくる。

しだいに欲が出てくる。

 

絶対にだ。

そしてその時、考えればいいことだ。

いい道を歩け

幸福の追求にはジャマできない。

その人は、思うがまま幸福追求をやったらいい。

その人にとって、なにが重要なのか。

それをうめてあげるのだ。

満たしてあげるのだ。

 

無意味なコミュニケーションなんて不要だ。

仲良しごっこも、騙して蹴落としも、

そんなことにはそもそも興味が無い。

幸せになる勇気

そういう意味では、筆者は、「追求したい」

正確なのだろう。

いろんなことを。

自分の納得行くまで、やる。

 

それが筆者にとっての正解なのだろう。

いるものだけ欲しい、いらないものはいらない

消費者はわがままだ。

いや、いいかえれば、

わがままなのが当たり前か。

だとすると、みんなわがままだ。

 

いるものだけがほしい。

しかも、めんどうな手続き無しで。

お手軽に。

 

その一方で、

いらないものはいらない。

見たくない、

聞きたくもない、

その情報じたい、

入れてほしくない。

 

結論、

やはり日本人は潔癖だった。

 

Twitter世代は弱者有利

「会社を信じていた」

「先生を信じていた」

「夫を信じていた」

みんなうそだ。

断言する。

完全にうそだ。

 

正確には、上記のような発言を

するひとほど、内心は

逆のことを思っている。

 

つまり、

逆のことを言って攻撃するのだ。

なぜなら、

そこがつけ入るすきだから。

 

ドイツのことわざに、

「ハンマーを持つとなぐりたくなる」

というのがある。

日本で言えば、

「出るくいは打たれる」ってやつ。

 

つまり、目立つことには

リスクがともなうのだ。

つまり、何が言いたいかというと、

「やるならうまくやれ」ということ。

 

みんな、自分だけは特別と思い込んでる。

みんな、自分だけは大丈夫と思ってる。

根拠はない。

みんな、ストレスを抱えている。

それを他人のせいにして良いと思ってる。

みんな自分だけが被害者と思っている。

 

なぜか。

 

それは、被害者を演じたほうが楽だから。

楽でなおかつ、メリットがあるから。

便利だから。

 

早い話が、

被害者を演じ、ゴネたほうが得だから。

それを知ってしまったから。

 

乞食の発想

ふつう買い物とは、

サービスまたは商品と貨幣の交換だ。

缶コーヒーと100円を「交換」するのだ。

 

このとき、100円は減ってない。

つまり缶コーヒーに化けたのだ。

 

もっとお手軽でカンタンな方法がある。

それは「もらう」というやり方だ。

そうすれば、ノーコストだ。

カネを差し出すことはない。

 

ポイントは、

他人の善意を利用することだ。

 

たとえば世の中には、

説明好きな人がいる。

そいつにこまったフリをすれば、

説明をしてくれるのだ。

 

それと引き換えに、

そいつには「感謝」を与えておけばいい。

 

もっとカンタンな方法を紹介する。

それが「強奪」だ。

奪う、ということだ。

 

やり方はカンタンだ。

相手を脅すだけだ。

大きな声を出して相手をおどろかし、

おびえさせ、

あいてからうばう。

 

もちろんあくまでも、

相手が差し出すかたちだ。

 

奴は相手を下に見ている。

自分が特別だとおもているからだ。

自分は被害者だと思っている。

同時に、自分は勝者だと思っている。

歪んでいるのだ。

 

自己愛が強すぎる。

それをパーソナリティ障害という。

筆者はこの手の人とは、距離を置く。

なぜなら、とおくから見れば、

非常に面白い人だからだ。

境界性パーソナリティ障害 (幻冬舎新書)

 

富士山は遠くからながめて楽しむもの

富士山はおおきい。

とくに頂上に雪などがあれば、

さらに良い。

 

しかし近くで見ると

~例えば富士登山などして~

ひじょうにゴミが多いことに気がつく。

 

はっきり言って富士山はゴミだらけだ。

ゴミの山だ。

それが日本の象徴、

日本を代表する山だというのだ。

 

しかしこれは事実だ。

問題は、そこから自分が

何を導き出すか。

そこにある。

 

おもしろく 

こともなき世を

おもしろく

すみなすものは

心なりけり

 

高杉晋作の一句だ。

みつをに言わせると、

”しあわせは自分の心が決める”

というやつ。

 

たとえば。

雨は、ただ降っているだけだ。

別にあなたを濡らそうとして、

ふっているのではない。

 

「雨に振られて嫌だな」と思うのは、

人間の身勝手さだ。

雨は、ふるのだ。

雨は降るものだ。

問題はそこから、

何を導き出すか。

 

何を発見するか。

何を気づかないか。

それでもいい。

それなら、そのていどだ。

どうだっていい。

 

筆者は何かを変えようとは

思わない。

人を、社会を。

変えようとは、思わない。

いや、「変えれる」なんて思わない、

といったほうが正しい。

 

そんな大それたことは、できない。

それを自覚している。

おのれの無力さを知っている。

 

筆者が今できることは、

現状の把握だ。

今、雨が降っている。

 

そして、問題点を見つけることだ。

雨に打たれている人がいる。

 

そして、どうしたらその問題を

解決に導くことができるのか。

 

傘をさしてやることだ。

 

ネットという名のハンマー

雨に濡れた人に、筆者が傘をさす。

それをハンマーを持った人に見つかっては、

いけない。

 

叩きたくなるからだ。

ハンマーを持った人は、

まるで子供だ。

幼稚だ。

とりあえず叩きたい。

相手なんて誰だっていいのだ。

ハンマーで叩かれた後、

その相手がどうなろうと、かまわないのだ。

 

それ以上の想像ができない。

なぜなら、「衝動」のみで行動しているから。

これは多くの人が、理解できない。

 

なぜ理解できないかというと、

すでにその位置にはいないから。

通過をしたのではない。

最初からいないのだ。

 

通過したのなら、気持ちがわかるのだ。

でも、はじめからその位置に

いないのだ。

 

たとえば、なんの練習もなしに、

はじめから25メートル泳げるとか、

逆上がりができるとか。

はじめからできるひとに、

できないひとの気持ちはわからない。

 

残念なことに、これはほんとうの話だ。

断言する。

絶対にわからない。

絶対にだ。

 

たとえば母子家庭の気持を、

両親がいる家庭の子供には、

わからない。

 

五体不満足な気持ちは、

そうじゃない人にはわからない。

一生。

絶対にだ。

 

それが事実だ。

何が言いたいかというと、

わからなくて当然なのだ。

それを「理解すべき」と

思うからいけない。

 

強制するからいけない。

ストレスなのだ、それだけで。

 

事実に対して、

それを把握すること。

その中で、自分に何ができるのか。

それだけでじゅうぶんだ。

 

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鎌田とカメ

鎌田(仮名)は港湾労働者だ。

 

先日定年を迎え、

40年つとめた港湾荷役会社を退職した。

その後、再雇用された。

 

鎌田は職場に毎日、

原付で出勤する。

 

出勤時間は朝6時。

そもそも肉体労働のしごと、

それも港湾だから、

朝が早い。

 

しかしそれにしても、

鎌田は早かった。

事務所には10数人の社員がいるが、

その中でも一番早い。

 

つまり鎌田の起床時間は朝5時なのだ。

毎朝5時に起床。

身支度をし、原付で通勤。

そして6時に到着。

 

事務所のカギを持っているので、

開けて入る。

始業時間は7時なので、

鎌田は海をながめる。

朝の港。

 

それを40年眺めてきた。

会社と一緒に年をとった。

事務所周辺は、関係者しか入れない。

管理区域のため、

コンビニなどもない。

自販機もない。

 

つまり本当に40年そのままなのだ。

 

鎌田は事務所にカメを飼っている。

ある日、岸壁にカメが歩いていたのだ。

それを拾ってきた。

 

鎌田は毎朝、出勤したら、

水槽の水を変える。

水道水をそのまま入れる。

 

天日に照らしたりはしない。

しかしカメは、15年ほど生きている。

はじめはミドリガメだったそうだが、

ずいぶん大きくなり、

靴くらいの大きさに育った。

 

息抜きならいいけど

鎌田は朝5時に起床する。

それはいい。

電車に乗らず、

朝の街を海に向かい、

原付で疾走する。

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これもいい。

非常に理想的な生活だ。

しかし、朝の貴重な時間を、

会社でダラダラ過ごすのは、

非常にもったいない。

 

しかも、それがカメの世話だなんて。

哀愁を感じすぎる。

鎌田は労働者だ。

それも完全な。

 

現役社員時代は、

事務所の所長までつとめた。

しかし今ではパート扱いのため、

責任もない。

やってる仕事は20代の新人社員と同じ。

 

事務所の同僚は、みんな若い。

息子ぐらいの年齢だ。

それが上司だったりするのだ。

年下の上司。

 

鎌田はプライドが高い。

そりゃあそうだ。

昭和のモーレツ時代を

生き抜いてきたのだ。

常に上だけを見ていた。

 

後ろなんて見ていなかった。

もちろん、年下に抜かれるなんて、

想像もしていなかった。

 

気づいたら60歳。

気づいたら年下の上司。

いちおう威張ってみる。

年下上司も気をつかう。

 

年下の同僚や、

新人社員には、鎌田は強気だった。

つまりそれが本来の鎌田であり。

つい先日までの彼は、

そうだったのだ。

所長やってたわけだし。

 

しょせんは肩書

鎌田は実際、事務所所長だった。

それも鬼所長。

しごとにきびしかった。

しかし、それだけだった。

本当にそれだけだった。

 

定年になり退職し、

権力者からはずれると、

みんな冷たくなった。

というより、以前の鎌田は、

「所長鎌田」であり、

みんなはそれに用があったのだ。

 

所長の肩書が取れてしまった今、

鎌田はただの60オヤジだった。

20代の若者ばかりがいる職場で、

年下の上司に使われ。

 

責任を取るしごとはまかされていないので、

やるしごとはハタチの新人と同じ。

けっきょく鎌田は、1年で会社をやめた。

そりゃそうだ。

 

行動が遅すぎる

鎌田は会社に見切りをつけた。

会社にいる若手社員を残して。

 

先輩として彼がやるべきことは、

仕事を教えることはもちろん、

人生の先輩として教えることだろう。

 

しかし実際はどうだったか。

鎌田は逃げたのだ。

理由は知らない。

でも想像するに、

きっと居心地が悪かったのだろう。

 

鎌田は逃げた。

自分のために。

あれだけ威張り散らして。

しかしきっと、

彼も気づいたろう。

あれだけ威張ることが出来たのは、

すべては肩書のおかげ。

 

所長鎌田だったから。

鎌田は確かに上司として、

嫌われていた。

みんなの反応は正直なものだった。

それにしても正直すぎるけど。

でもそれが事実だ。

まぎれもない事実。

 

鎌田は鎌田の都合で生きている。

みんなはみんなの都合で。

でも60をすぎてから気づくなんて。

現実はあまりにも残酷だ。

 

いまさら何になる。

60を過ぎて。

たしかに今の60は、

かつてにくらべて若い。

しかしいくら若いと言っても、

60は60だ。

 

今から何ができる。

今さら何ができる。

 

労働者は使い捨て

「職人」と言えば聞こえはいい。

呼ばれたほうも、

気分がいいだろう。

 

でもそれでおわりだ。

それ以上ない。

職人というコトバとひきかえに、

過酷な労働を提供するのだ。

 

ここに気づかないから、

鎌田はいつまでも労働者から

抜け出せないのだ。

 

労働は尊い。

働くことはいいことだ。

・・本当にそうだろうか?

いやもちろん、

「そういう見方」もある。

 

あくまで、そう見方もある、

というだけだ。

それ以上はない。

 

重要なのは、

「それ以外の視点」だ。

ものごとにはいろいろな

見かたがある。

あって当然だ。

 

たとえば缶コーヒーの缶。

上から見たら円。

では横から見たら?

 

長方形だ。

・・そんなこと言われなくても

わかってる、そう思うだろうか?

 

しかしそのことに気づいていて、

いつもそれを考えている人が、

はたして、どれほどいるのだろうか?

 

執着・こだわり

たとえばあなたは、

母親の顔を、何も見ないで描けるか?

あるいは、千円札。

何も見ずに、その絵を描けるか?

 

おそらく、多くの人は、

正確にかけないだろう。

つまりこういうことだ。

「その程度の思い」ということだ。

その程度の執着なのだ。

 

たんなるくちだけ、

ことばだけで言ってるだけ。

くちだけ番長だ。

 

何にどれだけ時間を使うか

労働、それも単純労働に、

人生を使いたくない。

もちろん、そうしたい人は、

そうすれば良い。

 

それは幸福の追求だ。

否定はしない。

単純労働で使い捨てられる危険性に

常にさらされながら日々を浪費する。

 

それをのぞむ物好きなひとも、

中には、いるだろうから。

それでいいのだ。

 

みんな自分のために、

好き勝手に生きている。

みんな無責任だ。

無責任に発言をしている。

責任なんてとらない。

 

断言できる。

絶対に責任なんて取らない。

 

もしも「責任を取る」という、

そういうかたが、いるのなら、

それが嘘偽りがないのなら、

ぜひ筆者の目の前に現れ、

それを現実にして欲しい。

 

筆者は自分の目で見たこと、

聞いたこと、

実際に手にとって触って

確認できたことしか、

信じないことにしている。

 

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ファスティング、だってさ

CAN'T BUY ME LOVE理論

ファスティング」なるダイエット法が、

流行っているらしい。

 

やり方はカンタン。

水またはゼリーだけで過ごす。

 

期間は半日から3日間とか。

まぁだから週末を想定して

いるのだろう。

 

ファスティングでもなんでも

いいんだけど、

筆者はこういう時はいつも

 

「肯定記事」と、

「否定記事」をつくる。

ぶっちゃけ、マッチポンプだ。

 

でも思う。

どっちにも需要があるのだ。

 

ひとつは、

ファスティングを信じる人むけ。

もうひとつは、

信じない人向け。

 

どっちだっていいのだ、筆者は。

ファスティングだろうとなんだろうと。

事実に対してアクションをする。

そしてその結果を獲得する。

 

そういうことなんだと思う。

 

いつでもそう。

 

たとえば人にあった時。

相手は、僕の知らない時間を過ごしている。

当然だ。

24時間365日

ずっと一緒に要られるわけじゃない。

 

一緒にいなかった時、

相手は何を考えていたのか。

 

それをキャッチアップする。

状況の把握だ。

 

どんな状況においてもそおうだ。

たとえばしごと。

 

自分がいない間、

なにがあったのか。

まずは今がどんな状況なのか。

 

上司のご機嫌は?

それくらいうかがえないと、

死ぬよ、マジで。

 

地震が来たら、

その次は津波が来る。

 

くしゃみをしたら、

風邪をひく。

かも知れない。

 

風を引いたら、

さいあくのばあい、

肺炎だ。

 

死ぬよ?マジで。

死なないように考えよう。

今の自分に何ができるか

状況の把握ができたら、

「穴」を見つけよう。

穴というのはつまり、

「弱点」だ。

その穴を埋めるのが、

あなたのしごとだ。

 

だって、穴を見つけてしまったのだから。

うめるのがあなたの責任。

それくらい思ってもいいだろう。

 

穴がなければ、

自分でほってしまえばいい。

そしてみんなにさけぶんだ。

 

「おーい!ここに穴があるぞー!」

ってね。

 

穴をうめる

穴は危険だ。

そのままにしていたら、

つまづいてしまう危険性がある。

だからうめる。

当然のことだ。

 

でも、みんなそれをやらない。

やろうとしない。

なぜ?

 

結論から言えば「めんどう」だからだ。

しかしそうは言えない。

だから別の理由を考える。

 

別の理由。

う~ん、そうだな。

たとえば、”忙しい”とか。

 

”時間がない”

”関係ない”

”あとでやる”

”今度ね”

 

いくらでも理由なんてつくれる。

おそらく、頭の良いひとほど。

 

頭の良いひとは、

自分がどうすればラクできるか、

知っているのだ。

生き残るのはバカ

競馬の話。

競走馬は、産まれてからわずか

3歳までに、その生死が決まる。

 

結論から言えば、

3歳になった時点で競走馬として

”使えない馬”は、

殺処分されるのだ。

 

つまり殺される。

まぁ、といっても馬刺に

なるんだけど。

 

さて、そういうことかというと、

競走馬も、走る練習は、

やっぱりイヤなわけですよ。

 

だからちょっと賢い馬は、

練習の時間になると、

それを嫌がる。

走っても、ダラダラ走り。

 

もちろん、そんなことでは早く走れない。

サボろうとする頭が働くからだ。

 

その一方で、バカな馬ほど、

よく走る。

いや本当に。

まだ走るの?ってくらい走る。

 

つまりたくさん練習する。

どんどん早くなる。

そのけっか、競争で勝てる。

 

正確には、勝てるというより、

「負けない」。

そう、負けないのだ。

 

先に述べたとおり、競走馬はその運命が

3歳で決まる。

頭が良く、手抜きを覚えた馬は、

競争で勝つことが出来ず、

殺される。

 

なぜなら、結果も残さない、「使えない馬」を

維持しておくカネはないから。

 

まぁ、当然っちゃあ当然だ。

馬主だって商売だから。

 

・・しかしこれは、

非常に考えさせられる話だ。

 

重要な事は、これが「現実」

ということ。

つくり話じゃない。

 

うさぎをカメでいえば、

カメだ。

カメが生き残るのだ。

 

いや、正確には、

うさぎがウッカリ死ぬのだ。

 

オーストラリアのコアラ

オーストラリアのコアラの脳は、

ゼリー状らしい。

 

なぜかというと、彼らには

「天敵」が存在しないのだ。

その上、エサとなるユーカリの木は、

たくさんある。

 

敵がいなく、さらに、

空にこまらない。

このような状況ではコアラの脳は、

 

収縮する。

ちぢこまる。

そしてゼリー状になる。

シワがないってことだ。

 

これは事実だ。

この事実を、

自分たちの実生活に、

どう役立てるのか。

 

重要な事は、常にそういうことだ。

自分だったらどうするか?

いつもそれを考えることだ。

 

あー、ところでファスティング

さいきん、ほうじ茶を買ってる。

 

昔はよく、番茶を飲んだものだ。

今は、ほうじ茶を番茶の違いがよくわからない。

 

だけど、似てるので買う。

実は緑茶よりも、価格が高いのだ。

 

筆者はこれを愛飲している。

ずっと前からファスティングなんて、

やりつづけているるのだ。

 

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積水ハウス(1928)やっと2000オーバー!

遅い!

遅すぎる!

いったいいつまで待たせるんだ。

嫌がらせもいいところだ。

もう2度と買わん、

積水ハウス

ってことで。

魚のとり方

貧しい人、恵まれない人に、

現物を与えてはいけない。

 

仮にそれが「親切」であっても。

無人島にひとりでいる人に、

魚を与えてはいけない。

そうではなく、

「魚のとりかた」を

教えてやるのだ。

 

おなじように、

貧しいひとに、

カネをあたえては、いけない。

そうではなく、

「カネの稼ぎ方」を

教えてやるのだ。

 

海の近くにすみたい。

でも、多くの人と、

からみたい。

 

少しでも触れ合えば、

その人とは、

全くの他人ではないのだ。

 

そうすると、都会が良い。

筆者は海がスキだ。

妥協して海が近い駅。

海には電車で行く。

 

都会の人は歩くのだ。

田舎の人にはわからない。

車社会だから。

歩く、歩く。

 

海に近い駅。

そこと都会を結ぶ電車。

 

たとえば三浦海岸駅。

歩いて3分。

泉岳寺あたりに住めば、

1時間で海だ。

 

現代人は努力家だ

ふつうの生活が、

もはやむずかしい。

困難だ。

 

かつてのふつうは、

もはやふつうではない。

”ふつうのシアワセがほしい”

”ふつうにシアワセになりたい”

 

ノーコストでそれをゲットしようとする

バカな女がいる。

かつてなら、

そてもできたのかもしれない。

 

それをするために、

どれだけ大変か。

もらう側は、わからないのだ。

わかりっこないのだ。

分かる気が、そもそもないのだ。

 

同じ1万円。

ドカタで稼ごうが、

パンツ売ろうが、

同じ1万なのだ。

 

別に、

わかってもらおうとなんて

思わない。

”わかってもらおう”と、

がんばらない。

 

向こうのキモチがないのに、

こっちだけがすりよるなんて、

バカらしい話だ。

 

なんて思ってします。

許せないこと

リーダー的なポジション、

というか、あるいは、

自分が主導権を持っている

状況では、

 

役に立っていない人を見ると、

腹が立つ

という感情になるらしい。

 

たとえばしごとで。

ひとりだけ、能力が劣っている。

ひとりだけ、動きが悪い。

上司はそれに、

腹をたてるのだ。

 

あるいはたとえばゲーム。

ひとつだけダメなパーツ。

キャラクター。

使えねえなあ、って思ってしまう。

 

これは事実だ。

ワタシはちがう!とか、

個別の事情はさておいて。

 

広く多くの人が、

どうやらこのような感情になるらしい。

 

ほっとく

まぁ組織であったり、

上司としての責任問題であったり。

 

「関係」があるならば、

かまってあげる必要がある。

しかしそうでなければ、

遠慮無く見捨てていいと思う。

 

「見切る」というか。

いっときの気の迷いで、

貴重な時間の浪費なんて、

ゼッタイにしたくはない。

 

夏休みの宿題は、

早いうちに終わらせたほうが良いのだ。

それといっしょだ。

 

やりたいことを叶える方法

結論から言うと、

すでに「その意志」があるようなので、

あとは「手法」のもんだい。

 

ようするにスキルだ。

スキルはおそらく一生をかけて、

みがいていくものだ。

 

どこがゴールかというと、

それはフローした時点で。

つまり自律神経に叩きこむのだ。

 

心臓が動く。

息を吸って、吐き出す。

それらと同じくらい、

体が勝手に、

カネを稼ぐ。

拡張する。

増幅する。

最適解を見つける。

あるいは構築する。

 

暫定的ベター

みんな「ベスト」を見つけようとする。

ベストな答え。

ベストなやり方。

しかしそれと引き換えに、

貴重な時間を交換している。

 

交換?誰と?

わからない。

いったいだれに、

あなたの貴重な時間を差し出している?

わからない。

 

であれば、それは浪費だ。

まちがいなく。

もう戻らない。

「時間をつぶす」

この表現が、嫌いだ。

 

潰した時間は、戻らない。

覆水盆に返らず

二度と戻らない。

 

ベストを探すあまり、

有限の時間を捨てているのだ。

もしベストが見つからなかったら?

 

あるいは納得出来ない結果だったら?

また探し直し?

やりなおし?

やり直しに、また時間がかかる。

ばからしい。

そんな余裕は、

少なくとも筆者にはない。

 

代行は雇用

筆者は家事がすきだ。

掃除・選択。

何も考えず、でも確実に

しごとがすすむ。

 

つまり成果が見て分かる。

だから家事が好きだ。

 

しかし清掃を労働としてみると、

とても筆者には合わない。

なぜなら、

生産性がないからだ。

 

くわえて、労働者の交換が可能だ。

まぁその時点で、

ビジネスとしてはシッカリと

成り立っているといえる。

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労働者に成長させない。

簡単に取り替え可能。

 

事業者としては素晴らしいメリットしか無い。